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男は眼を閉ぢた。何も答へなかつた。
その二人の働いている所にはまだ形こそはつきりとはしていないが、内部ではもうこゝだけに見られる家庭生活の気分といふものが生れて居て、その特殊な雰囲気がひつきりなしに流れて、徐々にこの空洞のやうな乾いた家の中にその匂ひを浸みこませて行くやうに感じられた。
その時、道平がのつこりと診察室に上つて来た。やはり尻はしよりの下から真黒い両脚を円出まるだしにしたまゝで。房一が考へこんでいるのを見ると邪魔をしてはいけないとでも思つたらしく、そのまゝゆつくり診察室の中を見まはして、何か口のあたりをもぐもぐさせた。それから、医療器具棚に近づくと、そのうるんだはつきりした眼で熱心に中をのぞきこんだ。そして又、口のあたりをもぐもぐさせた。それはこんな風に云つているやうであつた。
房一は、行儀よくまだ冠を頭にのつけたまゝの小谷と練吉と並んで板切れの上に坐つていた。
「へーえ」
柳里恭りゅうりきょうの『雲萍雑志うんぴょうざっし』のうちに、こんな話がある。
「うむ、わしか」
むかしからおれとこの人とは仲よしだつた――それは押しかくすことのできない悦ばしさだつた。
「さうだ、鍵屋の法事へ行くんでね。さつきは、君にさう云ふのを忘れていたが――まあ、上りたまへ」
「さうだ」
「もう河原町へは当分帰る気はないんですかね。貴方にお貸したところをみると」
「今、あんたの便をしらべてみたがね」
徳次は気が抜けたやうに、口のあたりをもごもごさせるきりだつた。